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男も惚れる!トップゴルファーの感動エピソード

トム・ワトソンというゴルファーをご存知でしょうか?

PGAツアー39勝。メジャー大会通算8勝。5度の賞金王に輝くゴルフ界のレジェンドです。その温厚な人柄はまさに紳士。慈善活動も積極的に行うなどゴルフ以外でも影響力を持つ選手です。そんなレジェンドには親友でありパートナーのブルース・エドワーズと何十年にも渡って作り上げた男気溢れる感動のエピソードがあります。

この物語はあなたの人生に忘れてはならない大切なことを思い出させてくれます。ゴルファーとしてだけでなく真の男とはこうあるべきという素晴らしいエピソードです。

ワトソンとエドワーズ 30年の物語

1973年当時23歳のワトソンはプロ2年目。賞金ランク78位のまだまだ駆け出しゴルファー。そんなワトソンに練習場で一人の青年が声をかけたところから物語は始まります。

「僕をあなたのキャディーにしてくれませんか?」

青年の名前はブルース・エドワーズ。プロのキャディーを目指す18歳の若き青年でした。なんのキャリアもないエドワーズでしたがその熱意は凄まじいものがあり、ワトソンは彼を専属キャディーとして雇うことにしました。

「ここで守ってどうする、攻めなきゃダメだ」
「この芝は絶対にスライスラインだ」

メモ帳にびっしり書かれた分析からのアドバイスは的確で、採用してすぐの大会でいきなり6位入賞。キャディーと2人で戦うという新しいゴルフの時代の始まりでもありました。

今でこそ試合で勝つために優秀なキャディーは欠かせませんが、当時のキャディーは荷物を持ってクラブを渡すだけ。大した役割は求められていませんでした。エドワーズはキャディーの地位を向上させた第一人者でもあります。

独自の読みやアドバイスで戦いをサポートするだけでなく、試合中何度も心が折れそうになるワトソンを支え、挑戦する勇気を与え続けたのもエドワーズでした。

「ミスが続いたら諦めるのか?」
「自分に自信を持て!」

そう励ますエドワーズに何度も助けられたといいます。

そんな最高のコンビは結成4年後の1977年から1980年の4年間、連続賞金王に輝くなどまさに黄金時代を迎えました。

しかし栄光は長くは続きませんでした。ワトソンはショートパットのイップスにかかってしまい極度のスランプに陥ります。グリーン上で苦しい表情を浮かべ呆然と立ち尽くす姿は世界中のゴルファーに衝撃を与えました。

まったく勝てない日々。試合を見送ることも多くなり収入は激減。ワトソンはエドワーズに、他のプレイヤーに付くよう進言します。その弱気な発言を聞いたエドワーズは失望と共にワトソンの元を離れていきました。

2年後、エドワーズはグレッグ・ノーマンと共に優勝を総なめ。世界的なキャディーとしての地位を確立し、自身のキャリア最高の状態にありました。一方ワトソンは相変わらずの絶不調。なにをやっても上手くいかない日々を送っていました。そんな彼の誕生日に1本の電話がかかってきます。

エドワーズ「トム、誕生日おめでとう。俺はノーマンのキャディーをやめるよ」

ワトソン「何を言っているんだ。今君は最高の舞台に立っているんだぞ」

エドワーズ「そうさ、立っているよ」

ワトソン「その最高の舞台を捨てるのか?」

エドワーズ「いいさ。もう一度戻ってくればいい。それに最高の舞台に立つなら君と一緒に立ちたいんだ。2人で乗り切ってもう一度上を目指そう」

当時、「スランプだった自分の元に戻ってくると言ってくれた時は驚いたけど嬉しかった」そうワトソンは語っています。

その後、数年に渡ってイップス克服に取り組んだ2人は見事スランプを脱出。1996年には長い間遠ざかっていた優勝を獲得します。

しかしそんな喜びも束の間、また二人で栄光の時代を掴もうとしていた矢先、エドワーズがALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気にかかってしまったことが発覚します。

ALSは脳からの信号が筋肉に伝わらなくなってしまう病気で、徐々に体が動かなくなり最終的に呼吸が止まってしまう病気です。(ALSの治療法は現在も見つかっていません)エドワーズは失意の中ワトソンに電話をかけます。

エドワーズ「ALSって病気になってしまった。あと3年生きられるかわからないらしい・・・迷惑になってしまうからキャディーを辞めるよ」

そう話すエドワーズにワトソンは言います。

ワトソン「諦めるのか!俺はこれからも世界の舞台に立ち続ける。だけど最高の舞台に立つなら君と一緒に立ちたいんだ」

かつて自分を励まし共に困難を乗り超えようとしてくれたパートナーを全身全霊でサポートすると決意した瞬間でした。

それから約1年後の2003年全米オープン。何年かぶりに参戦したワトソンの隣には病気の影響でガリガリに痩せてしまったエドワーズの姿がありました。特別招待の試合だったのでカートの使用が認められていたのですが、エドワーズはそれを拒否。自分の足でキャディーの仕事を全うすることを選びます。

歩くことさえ困難なキャディーとキャリアのピークはとっくの昔に過ぎたと思われていたワトソン53歳。だれもが予選落ちだろうと思う中、ワトソンはエドワーズの読み通りのショットを完璧にこなします。

終わってみるとなんと初日をトップの成績でホールアウト。当時はタイガーウッズの全盛期。世界中のトッププロが集まるメジャー大会で53歳の初日トップは史上最高齢のまさに奇跡でした。

コンビを組み始めた頃の強いワトソンの姿が重なったのでしょう。エドワーズは人目もはばからず声を上げて泣いたといいます。最終日は28位でフィニッシュとなってしまいましたが、18番ホール2人を待つギャラリーからは割れんばかりの拍手と大歓声。そして「ブルース!」の大合唱。

二人の目からは涙があふれていました。それが長年共に戦ってきた2人の最後のステージになることを本人たち含め皆が分かっていたのでしょう。

奇跡の全英オープンからわずか1年後の2004年4月8日ブルース・エドワーズは天国へ旅立ちました。発病から1年4か月。49歳という早すぎる死でした。

奇しくもその日は、マスターズの初日。オーガスタは彼がもっとも愛したゴルフコースの一つでした。大会会場で訃報を知ったワトソンは悲しみにくれながらも「エドワーズが望んでいる」と言いその日を立派に戦い抜きました。

時は経って2009年。59歳になったワトソンは全英オープンに出場していました。度重なるケガや手術、加齢によってパフォーマンスは劇的に低下していましたが、大会中はミラクルショットを連発。気付けば最終日終盤までトップという衝撃的な展開をみせました。

結果は惜しくも2位となってしまいましたが、これがきっかけで全英オープンの60歳までしか参加できないというルールが変更されるほどの歴史的快挙でした。

試合後のワトソンのコメントです。

「非常に悔しくてがっかりしています。はらわたが引きちぎられるようでした」

「他の選手は私の息子くらいの年齢です」

「年寄りがここで何をしているんだ?と言う人もいるかもしれませんが、これで(今回の成績で)、あぁまだ戦えるんだねと言ってもらえると思います」

60歳を目前としても未だ消えることの無いファイティングスピリッツを見せる姿に尊敬の念を抱いたのを覚えています。いくつになっても限界はないという事を世界に知らしめた瞬間でした。

59歳で世界のトップとしてプレイするなんて普通ではありません。ワトソンの心の中には今でもエドワーズが放った、

「諦めるのか!」

「自分を信じろ!」

この言葉がずっと響いているのでしょう。

老いもケガも悲しみもすべて乗り越えて、真摯にゴルフに向かい続けるワトソンの姿は我々に感動を与えてくれます。

【追伸】
日本にはトム・ワトソンが設計したゴルフコースがいくつかありますが、宮崎県には彼の名前を冠したトム・ワトソンゴルフコースがあります。彼の思いが詰まった美しいゴルフコース。ゴルファーならば一度は訪れてみたい場所です。

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ゴルファボ編集部

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